我々一家は、かつて中国で暮らしていたことがある。まだ次女は生まれていなかったが、長女は当時二歳。外国慣れしている私と違って、妻の方は海外の長期滞在は初めてで、さぞ大変だろうと周囲に思われていたが、実は日本よりもずっと楽だった。食事の時は、店の小姐(シャオジェ)たちが何かと娘をかまってくれるので夫婦で落ち着いて食事はできるわ、保育園は24時間いつでも娘を預かってくれるわで、子供がいても大人の時間を削る必要が実に少なかった。「それは外国人の特権では」というとそうでもなく、私の部下である中国人社員達も、あれやこれやで子供の面倒を社会が見てくれたおかげで、既婚者も独身者も同じように働いていた。それを寂しいというものもいたが、他方で既婚者であることが、特に妻の側の不利にならないという点においては日本とは比較にならないほどの男女同権社会だったように思う。もちろん楽なことばかりでなく、配偶者や子がいるからといって仕事を軽減してもらえないという点においては日本以上に厳しい社会であるのだが。おかげで当時は妻にも仕事を手伝ってもらうことも多く、私の方も楽だった。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50955373.html
現在その中国で子育て中の身ですが、同様のことを実感しています。
妻の両親が、故郷から遠く離れた不案内な土地であるにも関わらず、わざわざ夫婦揃ってこちらに滞在して子供と家庭の面倒を見てくれています。
おかげで、妻はわずか3ヶ月で職場に復帰しました。この程度の期間であればブランクが負担になるほどのこともなく、おおむね順調に元のポジションに戻れているようです。
私ももちろんずいぶんと楽をさせてもらっています。子育てや生活面での手間が軽減されることに加え、年長者が常に傍にいてくれることで、精神面での支えにもなってくれています。会社に出てばかりの私でもそう感じるくらいですから、おそらく妻に取っては相当な支えになっていることでしょうね。
そんな両親を支える血縁者や近隣の人々の存在があります。
出産の前後には、妻の故郷からたくさんの親類縁者が駆けつけてくれました。また、こちらの土地に不案内な義父母に対して、ご近所の方がいろいろと気を使って声をかけてくれています。
私が外国人だからでもない、駐在員の経済的な優位性があるからというわけでもない、「社会が面倒を見てくれる」ことのおかげだと感じています。弾さんも触れられているように、私の会社の社内でも、収入や地位、出身地に関わらず皆それなりに出産し、子育てをしながら元気に働いているように見えます。
とても共感のできるコメントがありました。
べつに、国が子供を育てないんではなくて、子育てというものが、日本では純粋に個人化
されているということでしょう。
おそらく、弾さんのお子さんを預かった中国人の家庭では、そのお子さんを自分の子供と
同様に叱ったり躾けたりしたでしょうし、また、レストランであやしている最中に何か事故っ
たりしても、たぶん“没法子”で済まされたのではないでしょうか?
中国人の感覚の中に、「お上のしでかすこと」も含めた「人知の及ばぬ天災」への諦観があるように感じています。それが、他人に過剰に求めることをしない、まさに“没法子”の境地、そして逆説的ですがそれに抗うための市井人の知恵(?)としての人のつながりなのでしょうか。
そして、これは決して日本人もかつては持ち合わせていた感覚でもあるように思うのですが、どうもわずかな名残を残しつつ消え去りかけているように感じてしまいます。
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